本読み記録008/『読書する人だけがたどり着ける場所』齋藤孝

読書の意義や効用を語る本は山ほどあるし、それなりに読んできたけれどその伝わりやすさはいろいろ。齋藤孝さんが書いたものだけでも何冊もありますね。
正直タイトルのインパクトを期待して読むとちょっと違うなという感じですが、(強めのタイトルがつけられているときは得てしてそういうものですよね、、)読書習慣のない人が効果的・効率的な読書法を知りたい、という需要で読むべき本。

平易な文章、わかりやすい例え、具体的に落とし込んだ手法、、とにかく読書してほしい!!という筆者の熱量が伝わってきます。「良い読書」のヒントがたくさんちりばめられている中で残しておきたいなと思う言葉を拾いました。

『読書と経験は矛盾しない』

読書の魅力はなんといっても時代も世界も飛び越えて何生分もの人生を体感できること。

『読書することで誰かの人生を追体験できる。その人とは住む場所や時代が違っても。』

これは文学、物語文だけに当てはまるものではなく、1冊の本の裏側には、作者、著者がその本に至るまでの大量の蓄積があることを改めて感じます。

知らない世界への取っ掛かりとして、インターネットほどお手軽で便利なものはありませんが、一度に入ってくる情報の量は膨大で、子どもたちにはその情報の取捨選択の能力は十分に備わっていません。本人の理解のスピードを超えて入ってくる情報を処理しきれない割には、調べたことで満足してしまいがちです。読書であれば、自分の読むスピードに合わせて入ってくるわけで、ゆっくりとその世界観を堪能し、新しい知識を消化しながら取り込むことができます。

また、本を読むよりも自ら行動した方がいい、実際の体験の方が大事という意見もありますが、どちらも大事にしてほしいと思います。本がモチベーションになって行動につながることもあれば、自分が生活する中で体験したことが、本を読むことによって整理されることもありますね。

『本を読まないのは、ホモ・サピエンスとしての誇りを失った状態』

コミュニケーションは人間以外の動物でもできること、でも『知を共有し、伝え継いでいくことができる』のは人間だけ、ということです。
先人たちの叡智をこんなに簡単に手に取って身近に感じられることの幸せ。映像メディアのわかりやすさ、心への響きやすさは革命的ですが、読書という能動的な行為によって得られるものはちょっと質が違うのではと思うのです。

『教養とは、雑学や豆知識のようなものではありません。
自分の中に取り込んで統合し、血肉となるような幅広い知識です』

そしてその教養が体に取り込まれているからこそ、深い思考ができるはず、という考え方です。教養があるかないかというのは結果論で、何か新しいことを知ったときにそれを咀嚼して自分の中に取り込む作業を経ているかどうかは大事なことだと思います。それを自分の言葉で表せるようになるような知識の蓄積こそが教養かなと。

知的な人とは・・・

知的な人とは・・・という問いかけも本書の中で度々見られました。
誰しもが知的でありたいと思っているはずという前提の上での筆者のいう知的な人とは「知識が豊富で、言語的な認識力が高い人」とのこと。薄っぺらい知識だと一つ一つの知識が離れ離れになっていてつながりがなく、文脈の中で上手く取り出して使うことができません。

知性とセンスは異なり、知性は求める人すべてに開かれたものという言葉に共感しました。普段の言語を通してのコミュニケーションの中で、話の文脈に沿って、頭の引き出しから相手に伝わるように必要な知識を取り出すこと、相手に合わせて言葉選びをすること、子どもたちにはこんな力をつけてほしいと日々感じています。

ちなみに本書で紹介されている「教養を深めるための本」は、ちょっとハードルが高いような印象を受けました。人によって、タイミングによって、その時に欲してる本、必要な本は異なりますし、本を勧める、って本当に難しいなと感じます。

わたしは日によって、しかも時間によって読みたい本が違うのでいつもカバンの中に2種類本を入れています。読みたいなと思ったときにそれが手に届く場所にあることも読書へのハードルを下げる方法の一つですね。

来年も子どもたちにとっていい本との出会いがたくさんありますように!

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